文京区の歴史

21.01.19

皆様こんにちは。検査運営課運営係の村上です。

モニター試験にご参加したことがある方なら、皆様必ずお越しいただいたことがある弊社ですが、東京都文京区にオフィスを構えております。

今回は、その文京区の歴史について調べてみたのでご紹介したいと思います。

現在の文京区は、1947(昭和22)年に本郷区と小石川区が合併し、誕生しました。
江戸期には、大名屋敷や武家屋敷、寺社が多数置かれておりました。
明治期以降は、学問所や大名屋敷の跡地などに「東京大学」をはじめ、多くの学校が置かれ、周辺には多くの文学者や文化人も暮らすようになり、『文の京(ふみのみやこ)』として発展しました。
1884(明治17)年には、東京大学の学生3人が、キャンパスそばの本郷区向ヶ丘弥生町(現・文京区弥生)で土器を発見し、地名から「弥生式土器」と命名され、この土器が使われた時代を「弥生時代」と呼ぶなど、日本の考古学史上でも重要な地となっているそうです。

また、「六義園」があるのも有名ですよね。

1695(元禄8)年、五代将軍・徳川綱吉の家臣・柳沢吉保が、自らの下屋敷として造営した庭園です。紀州(現・和歌山県)の「和歌の浦」などの景観が「八十八境」として表現されています。
1878(明治11)年には、「三菱財閥」の創業者・岩崎彌太郎が「六義園」とその周辺の土地を購入し、住居として使用していたそうです。その後、1938(昭和13)年に東京市に寄贈され、同年より一般に公開されるようになりました。

私は和歌山県出身なのですが、六義園に初めて行った際に、和歌山と六義園の歴史を沢山知りました。こんな近くに地元とゆかりのある場所があるとは知りませんでした。

六義園は緑や池が沢山あり、とても癒しになる場所でした。
皆様も、お時間のある時にぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

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